創業の想いを、未来につなぐ

世界にひろがるコマツの拠点とネットワーク


地球をひとつのフィールドと捉え、世界とともに歩み続けるコマツ。

そのビジネスの拠点とネットワークは、世界のお客さまの要望に応えるため、大きくひろがっています。
現在、海外生産比率63%を実現したコマツの生産拠点は60拠点、販売拠点は55拠点、さらに販売・サービス代理店は150カ国211社にもなります。

その拠点のひとつが、今回ご紹介する粟津工場です。


コマツ創業の地、小松市にある粟津工場


1938年に、コマツの創業の地である石川県小松市に、トラクターや農業関連器具の生産拠点として開設された粟津工場。以来、85年もの間、成長を重ねるコマツの進化の歴史とともに歩み続け、いつの時代も世界のコマツの主力工場としての役割を担ってきました。
東京ドーム約15個分、約72万㎡という国内最大の敷地面積を持つ粟津工場。その特長のひとつが、「生産性」です。

高度な技術と充実した生産工程を有し、さまざまな製品づくりを行っています。特に建設機械の性能を左右するキーコンポーネントのひとつであるトランスミッションは、粟津工場にて開発・生産され、全世界の拠点へ出荷されています。

また、中小型のブルドーザー、油圧ショベル、ホイールローダー、モーターグレーダー4製品を同じ2本の組立ラインで生産するなど、多種多様な品目の生産を実現しています。

もうひとつの特長が、「環境性」です。粟津工場は、将来を見据えたダントツ工場を目指して、斬新な発想で進化を続けています。

たとえば、建機の組立ラインにおいて、工場の地下空間を有効活用した全面地下ピットと、取り外しができるコンクリート床板により実現した、工場床のOAフロア化。
設備機器を地下ピット内に収納することで、広い生産エリアと快適な環境を実現し、レイアウト変更にも柔軟に対応できます。
また、恵まれた自然環境を活かし、太陽光やバイオマスなどの自然エネルギーを最大限に取り入れることで、大幅な省エネを実現しています。
地熱の利用や、屋根の天窓とLED照明を組み合わせた自然採光システムなど、地球環境に配慮した機能も積極的に採用しています。

生産においても、環境への対応においても、つねに時代をリードしてきた粟津工場。その理由は、コマツ発祥の地である小松市に生まれ、創業の精神を強く受け継いできたからなのかもしれません。


1921年、小松市で誕生したコマツ。そして創業者、竹内明太郎


コマツは、1921年、石川県小松市にあった遊泉寺銅山の機械修理部門「小松鉄工所」が分離独立して発足しました。
社名の「コマツ」は、地名に由来するもの。創業者は、当時実業家として名を馳せ、日本の工業を世界レベルにまで向上させることを目指した竹内明太郎です

竹内明太郎が世界を意識するきっかけになったのは、1900年のこと。
フランスで開かれた世界博覧会「パリ博」で、世界の機械技術の進歩を目の当たりにしたことでした。
以来、竹内明太郎は、「工業を発展させずして、国家の発展はない」という強い思いを抱き、明治から大正にかけて日本における工業の育成に夢と情熱を注ぎ続けてきました。

そして、「世界で闘うコマツ」を目標にしたのです。

当時、竹内明太郎は、次のような心得を述べています。
一、 事業の施設はすべからく無駄なきものに。
一、 製品は欠品なき完全なものに。
一、研究は一時も怠ってはならぬ。
一、人の育成は将来を考えて努めて多く。
一、なるべく人の手を下さぬものを。
一、将来国産化の見込みをつけて輸出の方途を見極めよ。
一、儲けはその次でよい。

今もなお、竹内明太郎の理念はコマツに脈々と引き継がれています。そして、それは、「世界に通用する技術を生み出し、世界を相手に勝負する」というコマツのDNAになったと言えるでしょう。
 

創業の想いを受け継ぎ、明日へ


2023年、粟津工場では、新型コロナの波を乗り越えて、4年ぶりに地域の皆さまをお招きする「工場開放デー」が開催されました。



85年という長い歴史を持つ工場に勢揃いの、時代を開拓してきた建機や最新鋭の建機たち。


久しぶりのイベント開催によろこぶコマツファンと建機ファンのみなさま。

特に目をキラキラ輝かせて建機を見ている子どもたちの姿は、コマツ社員の喜びであり誇りでもあります。