サービスエンジニア:Autonomous

とにかく海外に出られる会社を、学校の先生に聞いて回った

Y・A/ 2010年入社/高専 機械工学科/所属部署(当時):コマツアメリカ
とにかくできるだけ早く海外に出られる会社を学校の先生に聞いて回って、コマツに決めました。

本当の意味で国境を越えるには、さまざまな壁を越える必要があった

新卒配属の際に、AHS*を希望したきっかけは、当時の取締役の方のお話でした。もちろん、AHSにも興味があったのですが、必ず海外に出られるというポイントが最大の決め手でした。とは言っても初めての海外での仕事は、何もできませんでした。ただ自分の無力と無知を痛感する時間でしたね。出張は上司と一緒に行ってその後ろにくっついていくだけ。自分で何かやろうとしても何をしたら良いのかわからない。本当にもどかしさを感じました。新入社員でしたので当然かもしれませんが、コミュニケーションや製品に対する理解度、経験値どれをとっても全く足りていなかったんです。これを契機に、オフの時間は海外ドラマを見たり、英語の文章を書いたり、とにかく寝るまでずっと英語三昧の生活。上司もあきらめず私に仕事を任せてくれ、3か月のうち1ヶ月は海外現場に行く生活を続けました。現地で生きた英語を経験し、語学力の向上につれて文化の違いや仕事のこともだんだんとわかってきました。
*Autonomous Haulage System

社内ではわからない、現場でこそわかるリアルがある

初めてAHSが現場で使われているところを見た時はカルチャーショックを受けましたね。AHSで動く無人ダンプトラックが走っているところはコマツの試験場で見たことがあったのですが、お客さまの現場でリアルに使われているのを見るとイメージしていたものと全然違いました。ものすごく広いところで鉄鉱石を積み込んで、さまざまなプロセスを経て需要がある場所に運ばれて行く。お客さまはこの無人ダンプトラックを使って事業を行い収益を上げているんです。その現場感や緊張感は試験場とは一線を画すものでした。例えば、システムダウンで全部止まってしまったら、その時間に比例して、お客さまに損害がでてしまう。そうした緊張感をもって仕事に当たらないといけないし、製品のサポートにも力を入れないといけない。この原体験は、自分の仕事に対する姿勢を根本的に変えてくれましたね。

過酷な鉱山の環境も、ノウハウの蓄積で立ち向かう

2017年頃、駐在員としてカナダでのAHSプロジェクトに携わっていました。私は稼働に関する技術的なサポート、使用方法や新機能に対するニーズの調査、現地代理店の人材育成などの業務を行っていました。また、コマツの開発部門などにお客さまからの声がきちんと伝わるように、その背景や意図を理解して伝達するような、いわばお客さまと開発部隊の橋渡し役も担っていました。極寒地(厳冬期-40℃)というAHSにとって初めての環境のなか、いろいろな事がありましたね。やはり主役はダンプトラックであり、AHSのシステムだけちゃんと動いていればよいというものではないんですよ。例えば、気温の低下でステアリング操作に必要な作動油が冷えてしまい粘度が上昇、想定したステアリング角が出せず自動運転のコースから外れてしまうという問題がありました。他の地域では経験のない問題でしたが、現地代理店や開発部門と協力して無人ダンプトラックシステムの中央管制に通知し、中央管制から自動暖機命令を送る機能の実装につなげることで、課題を解決できました。

新しい価値をお客さまとともに粘りづよく作り上げる

    仕事を進める上で、AHSの知識だけでは成り立たないことが沢山あります。これは、お客さまごとに稼働環境・規模・企業文化どれをとってもさまざまで、お客さまのオペレーションを深く理解しオンリーワンの答えを導くことが重要だからです。例えば、カナダでの駐在中AHSに新規導入した機能のパラメータ調整がうまくいかず、オイルサンドの軟弱な走路に深い轍が出来てしまう問題が発生したことがあります。お客さまと一緒に現場に行って試行錯誤しながら解決策を練って対応しました。現状分析から最適なパラメータの決定まで足掛け1ヶ月に及ぶ長丁場でしたが、お客さまも根気強く付き合ってくださり、無事顧客現場の改善に繋げることができました。無人ダンプトラックがスムーズに走行している姿を見たときは、本当に嬉しかったですね。帰任時にお客さまへ「鉱山の事をいろいろ教えてくれてありがとう」というメールを送ったら、「感謝したいのはこっちの方だ、君のプロフェッショナルな知識が自分たちのAHSをここまで成功させてくれた」というメッセージを頂き、今も心に残っています。